恐竜の話題(論文紹介): (39) 初期の恐竜の進化: ペルム紀終期以降の二度の大量絶滅との関係

2017年11月25日土曜日

(39) 初期の恐竜の進化: ペルム紀終期以降の二度の大量絶滅との関係

【図1】ヘレラサウルス類(右)とシレサウルス類(左)

最初の恐竜出現の舞台、そして初期の恐竜がいた頃 ~大量絶滅と進化の関係



大量絶滅の時期には多くの生物が衰退したり、完全に姿を消したりします。その一方で生態系が大きくリセットされることにより、大量絶滅はその後新たに棲息の範囲を拡大し、数や多様性を獲得してゆくグループが出現する舞台を提供することにもなります。古生代末期と中生代初期の二度の大量絶滅の後に繁栄を極めることができた恐竜の進化は、その典型とされています。しかし、大量絶滅と生物全体の進化の関係には大きな謎があります。
恐竜はいつ頃、地球上に現れたのでしょうか。恐竜は当時の他の動物よりも優れた能力をもち合わせたために競争に打ち勝ち、繁栄することができたとよくいわれていますが、実際はどうであったのでしょうか。  
今回は初期の恐竜の出現と繁栄の開始の時期に注目します。恐竜の進化が前回(話題38)で紹介した二度の大量絶滅とどのように関係していたかについても触れます。

【図2】古生代に姿を消した生物、中生代に現れた生物の例(恐竜以外)

【図2の説明】古生代ペルム紀/中生代三畳紀の境界での大量絶滅は生物相に大きな変化をもたらしました。(左)帆のような構造をもつエダホサウルス(Edaphosaurus)は単弓類という分類グループに属します。単弓類の一部は古生代末期の大量絶滅を生きのび、哺乳類につながる進化を遂げます。その後方は巨大なシダ類であるロボク。 (右)ユーパルケリア(Euparkeria)は単弓類から分かれて現れた双弓類に属する1メートルにも満たない‬中生代初期の爬虫類でワニや恐竜の先祖に近い(主竜類を内に含む主竜形類のメンバー)。二足歩行も可能ではないかと推測されています。後方は裸子植物のイチョウ。白亜紀になるとカニもあらわれます。

古生代終期からの二度の大量絶滅と主竜類、恐竜の繁栄


古生代終期から中生代初期の間の二度の大量絶滅のうち、最初の古生代と中生代の境目で起こったペルム紀/三畳紀の大量絶滅は、現在私たちが目にする生物相のもとを形づくるきっかけとされる重要な出来事です(文献1)。この大量絶滅は約2億5千年前に到来し、その後中生代の三畳紀に入ってからも、環境の大きな変動は続きました。サンゴ礁や森林の復活までには長い時間を要したのは前回紹介した通りです。
図3はこのペルム紀/三畳紀の大量絶滅前から現在に至るまでのワニの仲間、恐竜、鳥類の系統を簡単に表したものです。



【図3】恐竜、鳥類に至る主竜類の系統関係(初期の恐竜とその近縁の系統)


【図3の説明】それぞれの色別の箱は分類グループ(クレード)を示し、入れ子構造になっています。< >内は分類グループの名前。この図ではこれまでの定説に沿った系統関係ではなく、話題34で紹介した新しい説を入れてみたので、この点にご注意ください。

古生代に登場した爬虫類の一部である双弓類の中から主竜形類(Archosauromorpha)というグループが現れたのは古生代最後の紀であるペルム紀の中期、約2億6千5百年前ころとみられています(文献2)。やがて、その主竜形類の主なメンバーとなる主竜類(Archosaurs)というグループが出現しました(文献3、4、5、6)。図3に示したように、主竜類はワニを含むグループであるクルロタルシ類(Crurotarsi)と恐竜を含むグループであるアヴェメタタルサリア類(Avemetatarsalia)に分かれます。アヴェメタタルサリアの系統は鳥類に至る経路を含みます。

中生代三畳紀の間、恐竜は他の主竜類よりも特に体が大きいわけでもなく、種類も固体数も多くはありませんでした。中生代三畳紀の間は主竜類の中で目立った存在ではなかったのです。恐竜の大繁栄は三畳紀の終わりを告げることになった新たな大量絶滅、三畳紀/ジュラ紀の大量絶滅の後になってからです(文献3、4、7、8)。

恐竜とは何か? 系統樹のどこからが恐竜? 


どのような特徴を持っている動物を恐竜と呼ぶかというアプローチが、古い時代の研究ではとられていました。そこで注目されたのが、鳥盤類、竜盤類という、大きく二つのグループに分けられていた恐竜に共通する大きな特徴のひとつである姿勢についてです。正面から見た直立の姿勢(脚が体の左右に張り出していない)は、鳥盤類と竜盤類が独立に獲得したものではなく、共通の先祖から直接受け継いだという結論となりました(文献9)。その理由は、脚の付け根、足首の構造など、この姿勢を保って行動するための関連したいくつもの仕組みが鳥盤類と竜盤類で同じであるからです。かつての主竜類の中には他にも直立姿勢が可能なものもいたのですが、恐竜と同じ仕組みをセットとして持っていたのではありません。[ 主竜類を含む、より大きな分類グループの主竜形類における直立した脚への移行がその進化の経路の複数の箇所で生じたということです。早いものはペルム紀/三畳紀の大量絶滅期までに始まったのかもしれないという推測があります(文献10)。]

こうして、全ての恐竜は進化の系統樹の中で、ひとつの分岐点に位置する先祖から先にひろがる分類グループとして取り扱えることになりました。話題1、話題34で紹介したように、恐竜は進化の系統関係の中で、この共通の先祖とこれから派生した全ての子孫の全てを含むひとつのグループとして定義されます。このような系統分類上のグループのことをクレード(clade)と呼びます(文献11)。

定義では「共通の先祖」の系統樹上での位置が定められます。そのためには、そのグループのみをカバーできる二つの動物種を代表として選定できます。その二つの種を含む最小範囲の系統樹の枝ぶりの基部にあたるところ、別の言い方では、最も時代の新しい分岐点は一箇所です。クレードを定義するための「共通の先祖」の位置です。

最も新しい共通の先祖である「最初の恐竜」の系統樹中の位置を指定するために、これまではトリケラトプスとイエスズメが選定されてきました(この共通の先祖の同じ位置を指定できる、クレード内の他の二つの動物種の組み合わせの選定も可能です)。2017年3月には、これまでのデータを再検討した結果として、恐竜の系統樹の根元の部分的な組み直しが提唱されました(文献12;話題34で紹介)。その新しい系統樹における「共通の先祖」を指定するためには、トリケラトプスの代わりにディプロドクスが選ばれました。ただし、今後の研究の展開も見据えて、この論文では恐竜の定義として、ディプロドクス、トリケラトプス、イエスズメを含む最小範囲のグループ(これら三者のもっとも新しい共通の先祖とこれから進化した全てのメンバーからなるグループ)とすることが提案されました。

恐竜はある特定の特徴を持つ、似た者同士の集まりとして定義されているのではないのです。化石から得られるいくつもの情報を統合したうえで推定される系統樹上の個々の種(しゅ)の配置から判断されます。
クレードという観点からは、例えば恐竜の進化の道筋の中で、恐竜一般にみられる特徴がいくつも失われることがあっても、その動物はやはり恐竜です。また、恐竜一般との共通の特徴をいくつも持ち合わせていても、系統樹の中で「最初の恐竜」から派生していないと判定された動物は恐竜に分類されることはありません。この場合の共通の特徴とは、恐竜出現以前からすでにあったものが引き継がれたものか、あるいは後に独自の進化の中で得られたものということになります。恐竜はあくまで単一の系統として定義されています。

恐竜一般にみられる特徴は数多くありますが(文献3、4、8)、限られた化石情報から得られた特徴だけでは、その動物が恐竜のクレード内の系統樹上に入るかどうかの確定が困難なことがあります。また、新たな発見により、恐竜の多くが持つと考えられる特徴には変更が加わることがあるのです(文献3)。系統樹はもとのデータや作り方によっては違いが生じます。あくまでも化石から得られる情報に頼るわけですから、個々の特徴やその組み合わせをどのように判断するかは重要です。

初期の恐竜と姉妹関係にあるシレサウルス類


最新の系統関係の中で、恐竜のクレードの外にありながら、最も恐竜に近い姉妹関係にあるグループはシレサウルス(Silesaurus)の仲間(シレサウルス類(Silesauridae))と一般にはみなされています(文献3、4)。頭蓋骨の脳を格納する部分や骨盤の構造から、シレサウルス類は恐竜と非常に近い関係であるものの、穴が貫通した寛骨臼(大腿骨が接続する箇所)や頸椎上部の突起という恐竜一般にみられる特徴を欠いています(文献13、14)。おおかたの研究者はシレサウルス類と恐竜が姉妹関係にある系統樹を受け入れています。
シレサウルス類の中で大変古いアシリサウルス(Asilisaurus)の化石は現在のアフリカ、タンザニアの2億4~5千万年前の地層から見つかっています(文献15)。時代としては中生代三畳紀の中期にあたります。シレサウルス類に近縁でありながら、これとは分かれて別の進化の道を進んだ者たちの中から、ほどなく最初の恐竜が出現したのだろうと考えられています。
体長はシレサウルスが2メートルを超す程度、アシリサウルスも同じレベルの大きさでした。シレサウルス類はその葉状の歯とクチバシ状の口の先端の構造から、雑食性、または植物性に特化していたようです。前脚と後脚の大きさの比較から、普段は四足歩行とあったとしても、二足歩行も可能であったと考えられます。

初期の恐竜、そして最古の恐竜は?


いよいよ、恐竜のグループをみてゆきます。先ほどの図3の一番下の部分で、恐竜のグループ内での進化の経路をおおまかに示しています。中生代三畳紀の間はまだ恐竜のグループ内でのめざましい進化が表面化する前です。見つかる化石も少なく、しっかりとした細かな系統樹を作るのが難しい箇所がたくさんあります。図中の恐竜進化の最初の枝分かれ箇所の近くに位置しているヘレラサウルス(Herrerasaurus)、ピサノサウルス(Pisanosaurus)、エオラプトル(Eoraptor)は2億3千年前の前後に棲息していた初期の恐竜で、比較的早くから名前が知られています。時代は三畳紀の後期の前半にあたります。この年代はもう少しさかのぼるのではないかという研究結果も出されていますが、化石が見つかる各地層の同位元素の詳細な解析をもとにした、より多くの測定結果を待つ必要があります(文献16、17)。

初期の系統関係を求める困難さの一つとして、ヘレラサウルス(文献13)とその仲間のヘレラサウルス類(Herrerasauridae)の位置づけがあります(文献3、4、18、19)。ティラノサウルスなどの獣脚類の系統にある原始的な恐竜とみなされるようにもなりましたが(文献20、21、22)、文献12によって新たに提唱された系統樹の中では、ディプロドクスなどの首と尾が長いことが特徴の竜脚類とともに新定義の竜盤類のグループとなりました。そして、ヘレラサウルス類が属さない獣脚類は鳥盤類とともにオルニソスケリダというグループを構成しています(話題34)。最初のヘレラサウルスの化石は南米アルゼンチンで見つかりました。二足歩行の肉食性で、体長は4~6メートル程度でした。ヘラレサウルス類のメンバーのスタウリコサウルス(Staurikosaurus)も初期の恐竜で、化石から得られる手掛かりが不十分ながら、体長は2メートルを少し超える程度と推定されています(文献23、24)。
ピサノサウルス(文献25)は植物食性の体長1メートル程度の原始的な恐竜で、全体の骨格の情報は不十分なままです。それでも今のところ、最古の鳥盤類という重要な位置づけです(文献26)。
アルゼンチンで見つかったエオラプトル(文献27)もやはり体長1メートル程の初期の恐竜です。獣脚類とみなされていますが、より確実に獣脚類に分類できる同じ頃の恐竜としては、その後に見つかったエオドロマエウス(Eodromaeus)がいます(文献20、22)。これまた体長1メートル少々の小柄な肉食動物でした。

これらの初期の恐竜はいずれも三畳紀後期の地層から見つかっています。さらに古い時代の候補とされているのが、体のほんの一部しか化石が見つかっていないニアササウルス(Nyasasaurus)です(文献12、28)。上腕骨の観察から、恐竜のように成長速度が高かったことがわかっています。脊椎の大きさから推測して、体長は2~3メートル程度であるらしいのですが、果たしてこれまでに報告されている中で最古の恐竜なのか、恐竜以前の動物なのか、それとも案外すでに知られている初期の恐竜の仲間なのか、化石の情報があまりにも限られていて、謎につつまれています。恐竜の歴史の開始が三畳紀中期にさかのぼる可能性があります。
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【ここで補足です】2017年3月に新しい系統関係を提唱したBaronらの論文(文献12)については、11月に初期恐竜の進化の研究に携わってきた別の研究者たちから異論が出されました(文献42)。いくつかの鍵となる分類グループがBaronらの使用したデータから抜けていることを指摘し、Baronらの説を否定する決定的な証拠はないものの、従来の竜盤類、鳥盤類の二大グループへの初期の分岐説を支持する系統樹を発表しています。さらにここでは、かつて提唱されたことがあるという、竜盤類と鳥盤類の分岐前にまず獣脚類が別のグループとして分かれたという可能性にも言及しています。これに対し、Baronらは文献42は不備のあるデータも使用しているとする一方、3月に発表した自分たちの系統樹の更新をおこなっています(文献43)。更新版ではピサノサウルスがシレサウルス類に入っています。また、ヘレラサウルス類の分岐点がより遡り、このグループが恐竜類のクレードから外されています。このような変更が直ちに入ることから、発見されている化石がまだまだ少ない中、どのサンプルのデータを使うか、特徴となる形質のスコアをどう設定するか、解析ツールをどう整備してゆくかが大きな課題であることがわかります。[ 話題34参照 ]
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このように、これらの初期の恐竜は大きな体を持つことはありませんでした。恐竜の姉妹グループであるシレサウルス類は二足歩行できるらしいということもあり、パンゲア大陸の同じ時代に一部にはよく似た姿かたちで両者が棲息していた時期が続いたことになります。
直立した脚への移行は、主竜類を含むより大きな分類グループの主竜形類の中で系統樹の中の複数の箇所で独自に生じたことは先に述べました。恐竜への進化経路で直立と関連して獲得された二足歩行は初期の恐竜の姿の典型とされ、鳥類へ引き継がれますが(話題24)、その獲得の時期を特定することができる化石が得られていません。初期の翼竜はすでに二足歩行から発展して飛翔ができるまでの段階にあります。そこで、この二足歩行の由来は鳥類への進化の系統樹をたどりうる中では結構古いところにあり、アヴェメタタルサリアのグループにほぼ共通の特徴であるかもしれないと思われていました。この見方に反する例が最近になって見つかっています。ワニのような姿で四足歩行をする三畳紀中期のテレオクレーテル(Teleocrater)です(文献29)。図3に示すように、テレオクレーテルはアヴェメタタルサリアの中でアファノサウリアという名前で呼ばれるグループに分類されています。この時期はまだワニのようなタイプも混在していたということになります。

逆に恐竜から系統的に離れた主竜類に恐竜のような体つきを持つものもいます。エフィギア(Effigia)は完璧な二本足歩行を行なっていたことを示す前脚と後脚の大きさの違い、歯のない顎、大きな眼窩(がんか)、骨盤の構造から最初は恐竜に分類されていました。しかし、脚や足首の構造が決め手となり、ワニの系統を含むクルロタルシ類と判定されるようになりました(文献30)。エフィギアと恐竜との類似性は進化の経路でそれぞれ独自に獲得されたことになります。

恐竜の繁栄に至る陸上脊椎動物の主役交代劇の背景 


このように恐竜とそれ以外の主竜類を含めたグループとの間には体の構造の類似点も多く、生活圏の重なりがあり、棲みかや食べ物をめぐっては競合があったとみられます。この競合の中で恐竜は他を排除しながら繁栄を獲得してきたという説明がなされてきました。その理由として直立の姿勢で素早い行動ができたこと、体温の維持のための活発な代謝をおこなっていたらしいことなどがあげられてきました。
そこで、本当に恐竜が日々の生活の中で他のグループとの競合に打ち勝つことによって生活圏を奪い取っていった証拠があるのかどうかということに目が向けられるようになりました。

まず、恐竜が属する主竜類、そして主竜類を含むより大きなグループである主竜形類とその他の四足脊椎動物との関係です。
ペルム紀/三畳紀の大量絶滅の後、単弓類のリストロサウルス(Lystrosaurus)が突然一時的に繁殖し、パンゲア大陸に広がったことなど、動物相は大量絶滅直後には多様性が失われ、これまでの生態系の階層がかなり単純な様相にまで崩れたことがわかっています(文献31)。リストロサウルスの跋扈は回復期間の一時的なもので終わりました。ついで新しい生態系が築きあげられる中、今度は三畳紀の新たな主役となる主竜形類の長期にわたる繁栄が始まりました。その種類、個体数だけでなく、体のサイズも増加しました(文献32、33、34)。その後のジュラ紀には巨大恐竜の出現により、主竜形類グループ全体の大型化はさらに顕著になります。一方、単弓類の中にあって、哺乳類につながる獣弓類(じゅうきゅうるい、Therapsid)は三畳紀初期には大型化に向かう傾向があったのですが、その後は小型化してゆきました(文献34)。しかし、この傾向の違いは両者の競合が元々のきっかけとなったからではないだろうと考えられています。互いに逆方向に向かう体の大きさの変化が生じた時期がカップルしていないことなどから、大型化の競争が明確にあったとは想定しにくいのです。また、恐竜を含む主竜形類の大型化はランダムな変動の積み重ねで進んだのであり、大型化への道に強力な原動力(その方向がその時点で明らかに有利となる進化の推進力)がここで働いていたとは認め難いという結果が得られています。ただし、主竜形類は成長速度が獣弓類より勝るという生理的特質を持つため、いったん生態系の中での大型動物の地位を占めると、この地位を他に譲ることはなくなってしまったのだろうという説明がされています(文献34)。獣弓類の中からは中生代のうちに哺乳類が現れました。しかし、哺乳類の大型化は恐竜が絶滅した後の新生代に入ってからです。

主竜形類のメイングループである主竜類の中では恐竜はどのような立場であったのでしょうか。恐竜の出現後、生態系の中で他の主竜類が占めていた地位は早いうちに恐竜に置き換わっていったのではないかと比較的最近までは考えられていました。しかし、恐竜の系統に属すると思われたものの多くが間違いで、別のグループのメンバーであることがわかったこと、そして三畳紀後期まで棲息していた、恐竜とは姉妹関係にあるグループに属するシレサウルスが発見されたことから、そうした想定は見直されることになりました(文献35)。恐竜もその他の主竜類の中でも恐竜に近い仲間も同じ地層から見つかるのです。
そもそも三畳紀には、主竜類の中のワニへの系統であるクルロタルシ類のほうが、恐竜よりも体の形が多様性に富んでいました(文献32、33)。このことから、クルロタルシ類のほうがより広い範囲の環境のもとに、より多様な生活様式を持っていたことをうかがい知ることができます。クルロタルシ類優位のまま、この二つのグループはしばらくの間、ともに多様性を高めるという進化を継続しています。一方のグループの形態のみが発展し、他方が押されてその多様性が縮小するという様子はみられていません。生態系の中の地位が重なっていたと思われるにもかかわらず、恐竜とシレサウルス類のような近縁の主竜類、そして系統的にはそれ以前に分かれていたクルロタルシ類は共存しつつ、三畳紀の間はともに進化していったということになります。
この様相が変わるのが、三畳紀/ジュラ紀の境界で起こった大量絶滅期を迎えた後です。ここからはクルロタルシ類の形態多様性が激減し、乏しいものになってしまいます。ところがアヴェメタタルサリア類、そしてその中の恐竜はどうかというと、その多様性の程度は三畳紀末期からさほどの変化がないままにジュラ紀に受け継がれました(文献33)。
大量絶滅の後のジュラ紀になっても恐竜の形態的特徴を決める要素の組み合わせは大きく変化しなかったということです。

三畳紀/ジュラ紀の大量絶滅が恐竜と他の主竜類の共存の時代を終わらせた


このように、主竜類(主竜形類)の繁栄はペルム紀/三畳紀の大量絶滅、その後の恐竜の繁栄は三畳紀/ジュラ紀の大量絶滅が深く関係しているのであり、その間の三畳紀全般にわたっては、恐竜が他のグループを追いやって繁栄を獲得したような証拠が得られないことが明らかになってきました。日々の生活には棲みかや食べ物をめぐる競合があったはずです。しかし、これらのグループの中で恐竜が三畳紀のうちに他を打ち負かして生態系の主役となったという仮説は見直されるようになりました。恐竜も三畳紀/ジュラ紀の大量絶滅の時期に大きな打撃を受けたものの、この災難をもたらした出来事が主役交代のチャンスになったという考えです(文献32、33、36、37)。恐竜以外の主竜類のメイン舞台からの退場のきっかけは三畳紀/ジュラ紀の大量絶滅とみられるようになってきました。

そうであるならば、次には三畳紀/ペルム紀大量絶滅期を恐竜が生き残ることができたのはなぜかという点を考える必要があります。しかし、その要因のいくつかを想像することはできるものの、実際のところはわかりません。素早い動きに直結する二足歩行は主竜形類の中では恐竜だけのものではありませんでした。成長の速さと高い体温の維持の二つも要因としての可能性があります。しかし、当時は恐竜を含めた陸上動物全般に体はそれほど大きくはなく、また、より高い体温をもつようになったのはオルニソディラ類からの特徴であるらしいという背景があります(文献37)。これらの機能が大量絶滅を免れる原因の一部になったとしてもそれだけではなく、他の要因とともに複合的に効いたのかもしれません。鳥類への進化経路で獲得した効率的な呼吸機能(文献38)も関係しそうです。そして、なんらかの偶然の作用も重要であったに違いありません。

恐竜がそれまでの動物に比べてより優れた機能をいくつも持ち合わせたのは確かです。しかし、恐竜が繁栄することになったきっかけは大量絶滅という外からの作用であったことが注目されるようになってきたのが最近の知見の中での重要な点です。
その後の中生代白亜紀末期の大量絶滅の後には、哺乳類と鳥類が主役となる次の大きな交代劇が起こったのはよく知られているところです。

大量絶滅は通常期の絶滅の規模が単純に大きくなったものではない


前回の話題で触れたように、大量絶滅以外の期間でも種や種より大きな階層の分類グループの絶滅は絶えず起こっています。こうしたバックグラウンドの絶滅が進行する通常の状況では、分類グループの中で種の数が多いもの、地理的に広い範囲にわたって棲息しているものが絶滅の可能性が低く、長い間にわたって存続できることが知られています。このことは極めて当たり前のようにも思われますが、これが大量絶滅の場合にはあてはまらないという例が二枚貝などの浅い海の底に棲んでいた軟体動物の調査からも得られています(文献39)。長い期間にわたって安定した継代を続けてきたグループも、細々と生き延びているグループも、大量絶滅の時期にはあまり変わらないような絶滅の可能性に直面したという結果です。大量絶滅は通常期の絶滅の規模を単純に大きくした効果をもたらすものではないことを物語っています。通常時の環境に適応して獲得した有利さは、並外れた環境異変がやってきた時には対応できない、また場合によっては不利な状況も招くことがあると考えることができます。さらには舞台裏に追いやられているからこそ、地球規模の災難を凌げることなどがあるのかもしれません。
大量絶滅とその回復期には、その前の生態系の在り様の延長からは考えにくい結果が起こることが、その後の研究でも示唆されています(文献40)。
大量絶滅は全ての生物がそれまでとは異なる非連続的な選択の篩(ふるい)にかけられる時といえるでしょう。

マグマの大量噴出や天体衝突による気候変動が大量絶滅のもともとの要因だとしても、構成メンバー間の食う、食われる、そして持ちつ持たれつの関係にある生態系の崩壊と再構成という複雑な関係の変動がその後の展開の重要なキーとなったに違いありません。
生態系の構成メンバーの大きな交代劇を呼び込む一時的空白状況はビッグファイブ(話題38)のような大量絶滅のたびに生じ、その後の生物進化の方向を大きく変えてきたのです(文献1、31、41)。


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